<マインドフルネス>―その実践
<マインドフルネス実践の心構え>
1.マインドフルネスはリラクセーションではない。
マインドフルネスは「気づき」であってリラクセ―ションではないことをまずはっきり認識し、自己の周囲と内面の出来事に対して入念できめ細かい注意を払います。油の入ったツボを頭の上に置いて一滴もこぼさない様に歩いて行くようなものである。マインドフルネス実践中に身体弛緩が起きることがありますがこれは副産物であって本来の狙いではないことを自覚することが大事です。
2.マインドフルネスは精神統一ではない
精神統一はいわゆる没我(トランス)状態、無念無想の境地であって、マインドフルネスは「気づきによるこころの安定(脱中心化)」を図るもので平常心の心境と言えるものである。マインドフルネスの最中にふとした拍子に浮かんだイメージに注意を奪われてしまい「今ここの気付き」から離れてしまうことがありますが、この時の意識がイメージに没頭した状態がトランス状態で、これはマインドフルネスではありません。マインドフルネスはあくまでも今ここの体験をありのままに観察することであり、心理的に安定した気づきのプロセスです。
3.モンキーマインド
特定の感覚、思考、感情へのとらわれはトランスにもなるが、考えが次から次と押し寄せそれに捉われる状態にもなりがちで、それをモンキーマインド、あるいは杭に繋がれたロバが逃げようと焦り杭の周りを走って身動き取れなくなる状態『繋驢(ケロ)蕨(ケツ)』と言います。
4.タッチ・アンド・リターン
自分は今、何時に気付き、心はどのように反応しているかを問いかけ、気付いたことには固執せず、考えは考え、気持ちは気持ちとさらりと流して再び呼吸に戻るのです。この実践を「タッチ・アンド・リターン」と呼びます。マインドフルネスの実践は最初から最後までこの繰り返しです。タッチ・アンド・リターンで注意を常に呼吸に戻すのです。
5.力まない
マインドフルネスの実践で大事なことは「力まない」事です。力むとは気負う、気張ることで「ありのまま観察しよう」という意気込みから緊張感に満ちた精神状態になってしまうことです。認知行動療法の「することモード」ではなく「あることモード」になることが大切でイージーな心境で気長に訓練をすることが大事になります。「考えないでおこうと思うことすら、既に考えている証拠であって、こうした考えも浮かばないのが本物だと」と沢庵和尚は言っています。
6.マインドフルネスはスキルであって、練習で上達する
マインドフルネスは複雑なスキルであり、意図的な練習の反復で上達します。練習が常態化することが秘訣です。うまくいかず自信を失うことがあるかもしれませんが、それも一時的な心理状態、単なる考えとして素直に受け入れ、自分を批判したり責めたりすることがあれば「責めるこころ」「批判するこころ」に気づくだけにしタッチ・アンド・リターンで呼吸に戻り平常心に戻るようにします。
<単独実践マインドフルネス>
1.場所・時間
証明は明るすぎず、静かな落ち着けるプライベートな空間を確保する。
慣れるまでは一定の時間、場所で行うのが良い。時間は数分から始め馴れるにつれ延ば司10から20分くらい行う。
2.服装
ゆったりとした気楽な服装が良く、靴も眼鏡も外した方が良い。決まりは何も無く柔軟なこころと態度がマインドフルネスの核心だと考えることが重要。
3.姿勢
座り心地の良い椅子かソファに浅く腰掛け、両足はやや開き足底全体で床を踏み、重力が感じられるくらい体重をかけ,お尻と3点支持になる感じに腰掛けます。背筋はシャキッと伸ばし、左右に身体を揺すっても安定したバランスが取れた(自力)感じが取れたら肩の力を抜いて楽にします。手は大腿部においてもいいし手のひらを上に組んでもいいし腹部の上に当てても良い。手の長さに応じて楽な所に置くのが良い。
4.目
半眼か閉眼する。
5.口元
顎関節が緊張しないように歯が咬みこんでいない、僅かに隙間があるくらいにリラックスする。
<マインドフルネスのプロセス>
マインドフルネスは注意の操作によって気づきを繰り返し呼吸に戻すことに尽きる。
1.ウォーミングアップ
周りの様子にゆったりと気を向けゆっくり深呼吸(肺を一杯に満たしてから、ゆっくり空にすること)を数回行うと、自然と自分の考え、感情などに気づくが、これが「自然のこころの流れ」である。意識的に行うことは何もなく、マインドフルネスは「あることモード」なのです。
2、呼吸の気付き、タッチ・アンド・リターン
自然の呼吸の流れが確認出来たら、次に注意を呼吸に移します、呼吸は腹式呼吸で、鼻孔を通る空気の流れに注意を集中します。呼吸のリズムは自然でよいが、1,2,3で吸い、4で止めて、5,6,7,8で吐くリズムがよい。(数を頭で数えて注意を集中させることをラベリングといい集中しやすい)呼気が副交感神経支配なので呼気が長い方がリラックス出来る。
呼吸に注意を払っていると、こころの流れは自然と散漫し、周りのことや雑念に移ります。これが「モンキーマインド」(サルが木から木に飛び移るように気が移る)ですから、タッチ・アンド・リターンでゆっくり呼吸に気づきを戻します。すると今度は違った方向や対象に注意が向きますが、この時にこれではいけないと思い叱咤激励してしまうと、ますます「ケロケツ」に陥ってしまいます。どのようなことがあってもゆったりとタッチ・アンド・リターンを」繰り返し行います。注意の散漫が引き起こすもう一つのトラブルは、呼吸の気付き(タッチ・アンド・リターン)を忘れてしまい脳裏に浮かんだ考えや記憶などに引き込まれてしまうことです、こうした「没頭体験」はトランス状態に似ていますが、それも気づきとしてタッチし、注意を呼吸に戻します。
最初はモンキーマインドやケロケツ、没頭、時には眠気との格闘になりがちですが、これらに対して柔軟に優しい態度を持つことです。マインドフルネスの実践で重要なことは心の中で起きている会話をイライラせずに穏やかに請け流し、和やかな気持ちで今に戻ること、今ここでの身体、今ここでのこころに気ずくことであり、将来のことや過去の出来事を想像するのではなく、ほんの一瞬でも良いから、今ここの自分に、立ち返るのです。
3.マルチモードの気づき
マインドフルネスは注意を繰り返し呼吸に戻しますが、注意をすべて呼吸にそそぐことではありません。タッチ・アンド・リターンで雑念が取れるようになったら、呼吸を中心に(anchor)して、周囲のことがらと自己の内面に気づくのです。呼吸に意識を向けながら、部屋の温度を感じつつ、外で遊ぶ子供達の声を聞き、心に浮かんだ考えや記憶などにも気づく、そして呼吸に戻る。これがマインドフルネスのプロセスで精神が安定した状態です。自己の内外で刻々と変化する様々な現実をありのままに、オープンな態度で選り好みをせず見つめ、どこにもとどまることが無いと言う気づきの多様性を「マルチモードの気づき」と言います。「脱中心化」とも言います。
*脱中心化
脱中心化は、心理療法における「プロセスにおいて現状での体験を外側から見つめることにより、体験の本質が変化すること」を言うが。マインドフルネスでは「思考や感情を一時的な心的現象とみなし、それが必ずしも現実や真実、自己の存在価値などを反映したり、重要な意味を持っていたり、又それに対して特別な処置をする必要もない」とみなす能力を意味します。(反応しない、骨抜きして、態にする)感じです。
フロイトは「平等に漂う注意」として、意識に流れるいろんな情報は意識し注意は払うが一切反応はしない状態を「観察する自我」と言っていますが、脱中心化と同じ概念だと思います。
マルチモードの気づきに慣れて来ると、呼吸に注意を払いながら同時に多くの事柄にも気付けるようになります。呼吸の気づきを原点にして、様々なことについてオープンであり、ありのままの観察ができるようになるのです。これが「マインドがフルになった状態」つまりマインドフルネスです。
この時の呼吸はあたかも小高い丘にそびえる灯台の明かりのようなものになり、心の大海の隅々を照らし、闇にぼんやりと潜んだ意識をを鮮明にしてくれる感覚になります。
マルチモードの気づきを無視して注意を呼吸だけに集中しようとすると、かえって不要な緊張感が生じて力んでしまい、あげくの果てにはモンキーマインドやケロケツ、もしくは没頭状態に陥ってしまいますので、呼吸に払う注意はせいぜい1/4,残りは呼吸をとりまく空間に向けるようにします。マインドフルネスは単に呼吸だけに注意を向けるものではなく、マルチモードの気づきであることです。呼吸はマインドフルネスの要であり、これが意識の多重化を可能にし、気づきを深めるのです。
4.終了
マインドフルネスを適当な時間行ったら終了します。一人で行う場合はタイマーをセットして終了しますが、協力してくれる人がいれば「りん」仏壇にある鈴を打ち、音が消え入るまで瞑想を続けると切れる瞬間にマルチモードに入りやすくなります。
毎日一定の時間に3分から始め、慣れたら20から30分くらい行うのがよいでしょう。体調に合わせて無理のない範囲で肩肘はらずに心を開いておおらかな気持ちでするようにしましょう。
<誘導マインドフルネス>
1)ウォームアップ
気楽に1,2回深呼吸してください。ただ気づいたことに注意を払うだけです。周囲にある何かに、思い浮かんだ何かに気の赴くままに任せて気づいているだけで意識的に行うことは何もありません。マインドフルネスは一貫して「することモードdoing mode]ではなく「あることモードbeing mode」なのです
2)呼吸の気づき<>タッチ・アンド・リターン>
深呼吸をしたら注意をゆっくり呼吸に向けてください。こころは好き勝手にどこにでも自由に動き回りますから、呼吸に気づいたら,又他のことに移るでしょう。そしたら移ったことに気づいて、再び呼吸に注意を戻してください。呼吸するときに鼻孔に空気が出入りすることを感じますか?上口唇はどうですか?こうしたことにも注意を払い呼吸に集中します。もちろん注意は動き回ります。どこに注意が向いても再びやんわりと呼吸に戻してください。気づいたことにタッチして、やさしく呼吸にリターンする。これがタッチ・アンド・リターンです。
*力みを抑え、ネガティブな考えや感情を素直にありのまま受け入れる「being mode」
を推進するために
呼吸の気づき(タッチ・アンド・リターン)では呼吸への注意は①「注意をゆっくり呼吸に向けます。②心はどこへでも自由に動き回りますから、呼吸に気づいたらまた他のことに移るでしょう。その気づいたことに再びタッチして、やさしく呼吸にリターンします。
3)マルチモードの気づき
タッチ・アンド・リターンを繰り返していると呼吸にいしきがありながら他のことにも同時に気づくようになるでしょう。吸う息と吐く息に注意を向けながら、周囲や内面のことに同時に気づきます。この場合もタッチ・アンド。リターンして注意を呼吸にもう一度戻します。もし呼吸に注意しながら考えが転々としたら、気づいたことにタッチして、呼吸にもう一度リターンするだけです。
*マルチモードの気づきでは、気づきの多様性、すなわち自己の内外の事柄と呼吸の両方に気づきが行きわたるように指導する。仮にネガティブ、不快な考えやイメージ、記憶、情動
起こったとしても「呼吸しながら他のことに思考も気づくでしょう。周囲や内面のことにも同時に気づきます。この場合も単にタッチ・アンド・リターンでもう一度呼吸に注意を戻します。」と指示します。なぜなら不快感を無視したり過剰な注意をを払ったりせず、他の感情や思考も含めて繰り返し呼吸に注意を向けながら気づきの軌道修正を行うことを通じて思考、感情、身体感覚との一体感を体験し、これに固執しないことが「マインド」+「フル」の治療規制と考えられているからである。
特にネガティブな思考や情動にとらわれずに一定の距離を置いてな眺める脱中心化は臨床効果があります。
4)終了
しばらくタッチ・アンド・リターンの気づきを繰り返して下さい。そして適当なところでストップしてください。
*自発的にマインドフルネスを終えるように指示し、単独マインドフルネスへの架け橋であることを忘れてはなりません。セラピストは注意操作を明確に指示しながらも、同時にクライアントへの共感を示すことが秘訣です。
<マインドフルネスと情動調整>
情動とは感情とそれに伴う身体反応のことをいい、情動調整とは、感情とそれの伴う身体反応を調整することをいう。つまり感情の上手なコーピング(対処の仕方)のこと。
仏教では『こころをおさめる』という。呼吸によるマインドフルネスによって自己の感情、もしくは他人の感情、もしくは、他人と自己の感情を熟慮する。感情がどのように生じ、流れ去りまたは生じ流れ去るのを見るのみである。
臨床で情動調整が重視される理由としては、情動調整の失敗が
1) 広範囲にわたる障害や疾患とかかわる、
2) 感情と体験の回避または過剰化を誘発し、その結果
3) 症状をさらに悪化させる
ことが指摘されるから、適切な情動調整はネガティブな認知システムをコントロールすることによって、ネガティブな感情を低下を図り、様々な障害にポジティブな影響を与えることができる。物事や出来事に対して過剰に反応しない態度(nonactivity)がマインドフルネスの大きな収穫である
<情動調整の効果を高める方法(臨床テクニック)>として①ラベリング②脱中心化③メタファーがある。
<ラベリング>
不安や感覚感受性が強すぎて呼吸へのタッチ・アンド・リターンが出来ない時は、不安や嫌な考えが何度も繰り返えされるようであれば、それに気づくたびに、「考え」「考え」「感情」「感情」「雑念」「雑念」と頭の中でラベリングして、注意をゆっくり再び呼吸に戻します。
考えや、感情の、イメージの内容に注意を払う必要はありません。単位に「考え」「考え」「感情」「感情」「イメージ」「イメージ」とラベリングしながらタッチして、ゆっくり呼吸にリターンするだけです。
<脱中心化>
情動調整が困難なクライアントには脱中心化は効果的です。
脱中心化は、無執着(detadhment),非自動化(deautomarization),情動との非一体化(Non-identification with emotion)とも呼ばれ、「思考や情動は「今ここ」で生じた心的な出来後(mentaal event)にすぎず、その内容は自己を規定するものではない」、とみ、なす見解である。これはマインドフルネスのインドフルネスの基本原則である。
心的現象は単なる心の量子、波動の収縮であり、故にそれが未来を規定するものではにない。
⇒では精神の集中とはどんな現象か?同じ位置及びその周辺に波動収縮が持続して起きる現象で、いいかえればそれは呼吸にリターン出来ない状態であり、できたとしても同時にその他の心的現象を距離を置いて単なる心的現象とみなすことができない状態であろう。のためモンキインド、ケロケツが生じ、ネガティブな思考にとらわれれば、それはモンキーマインドやケロケツに至るのである。
呼吸に気づきながら、頭に浮かぶ考えや感情に注意を向けてください。そうするといろいろなことが頭の中に浮かんできます。不愉快は感情(切れそうな感じ、イライラ、悲しみ、など)や考え「自分はダメな人間だ」「人はみな自分のことを嫌っている」などに気づいたら、それはそのままにしておいて、吸う息と吐く息に注意を向けます。イメージや思い出、身体の感覚についても同じです。感覚は常に変化するので、一つのことに注意を向けると他のことは消え去り、それもまた変わっていきます。心の動きはさらさらと流れる小川の流れの泡ようなものであって、次々と現れては消え嫌な気持ちや不愉快な考えも、心の動きに従って自然に変化します。(心の流転ー森田)心的現象は単なる心の量子、波動の収縮であり、故にそれが未来を規定するものではない。
考えや感情、記憶、イメージも単なる考えや感情、記憶、イメージにすぎませんから、それを観察するだけでいいのです。今ここで呼吸に注意を向けながらそれを観察してください。(ポーズ)オープンな態度で心に接し、好き、嫌い、怖い、不快に関係なく自分の気持ち、考え、身体に感覚などに気づきを向けるのです。そして、それを見つめている自分に気づいてください。
気持ちは気持ち、考えは考え、それに気づく自分は自分です。
脱中心化のネックとなるのは、臨床マインドフルネスの主要概念である不快な感情は自己ではないというコンセプトが理解されないところにある。
「自分)は怒っている(悲しい、不安だ,等々)」という体験と「(自分は)今怒りの気持ち(考え、身体感覚)に気づいている」という気付きとは別物である、という事実に着目するように指導することが重要あたまの、ある。(ACTの文脈の転換、仏教の無我に相当する)
前者は情動による自己の定義(I am angry)であり。後者は自己の情動知覚の定義(I am aware of angry)です。
「考えや感情、記憶、イメージといった事柄も単なる考えや感情、記憶、イメージに過ぎず、それを観察するだけです」
「気持ちは気持ち、考えは考え、そしてそれに気づく自分は自分です」
<メタファー>
メタファーは抽象的で理解しにくい概念をわかりやすくする機能がある隠喩のことです。
空を流れる雲は常に同じではありません、必ず変化します。感情は雲に例えられます。悩んでいる気持ちは暗黒雲です。その際は安全な部屋の中に入って雲の流れが変化していく様子を眺めるのです。呼吸を基盤に心の大空を通りすぎてゆく感情の雲を観察してください。感情に気づいたら、やさしく呼吸に戻ります。これをしばらくつづけてください。