美容整形を受ける人の精神病理について
病理学とは細胞や組織の標本を観察して病気の原因、発生機序を解明し診断を確定する学問であるが、精神病理学は精神疾患の精神症状を記述・分類して、精神疾患の心理的側面を明らかにし、その機構と経過を明らかにする学問である。
精神症状も心理的側面も病理標本のように客観的に直視できるわけでなく、あくまで推察するに過ぎないから科学的とは言えず、形成外科学が、「不足の原因が何であるかを究明し、それを医学的に補う」極めて単純な論証可能な科学的な医学であるのと対称的である。
ましてや、美容外科を受診する患者のほとんどは精神疾患ではないから、その心理的側面を述べることも、あくまで著者の推察による見解に過ぎず客観性には欠けるものであることは言うまでもないことである。
1.美容整形を受ける心理
美容外科手術は自分の容姿・ボディイメージを美しくする(見せる)ために受けるが、そもそも美しさを求める心理は何処に由来するのだろうか。それは人が本来的に求める真理や正義・善と同じように、フロイトの説明する自我・イド・超自我、意識・無意識の心理機構を越えたところ、いわば霊的な領域に由来するとするのが筆者の見解である。後天的に学習、習得した意識・無意識ではなく、生来的なリビドー、ユングの言う集合的無意識に近いものではないかと考えている。従って人が美しいものに憧れ、美しいものに感動し、自らも美しくありたいと思うのに、理由など無く極めて自然な営為であると思われる。美しさに普遍的な価値があれば、美しくなりたいと思う気持ちは自然であり、そこには基本的に病理は存在しない(若くなりたい気持ちも同根であろう)と考えるのである。
まあ人間が動物である以上、種の保存が第一の本能であり、そのために異性同士が美しく若さを発揮し異性を引きつけようとするのも至極合理的な振る舞いであるともいえるのである。
2.美しさになぜ悩むのか
自分が美しいと思う顔・身体イメージと現実の自分に差があれば、人はそのギャップに悩むのだろうが、美しさの基準に必ずしも普遍性があるとは限らない。よく言われるように平安時代の美人顔と現代の美人顔は大きく異なっているし、昔は美しさのオーラを発するには立ち居振る舞いの品位や教養の深さが求められたが、現代はインスタ映えして多くの「いいね」さえ得られれば良く、カワイイという空虚な美しさが基準となっている。
従って昔は美しいとされた面長なうりざね顔ではなく、小顔な丸顔を求めて美容相談に訪れる10代女性は少なくない。
また美しい(あるいはカワイイ)容姿は現代社会におおいて露骨に商業的価値が高まっている現実がある。昔は不美人(ブス)は3日で慣れると言われたが、今はバカよりブスが嫌われる時代である。「かわいいから仕方ないね」が最高の褒め言葉なのである。
容姿に異常に拘る身体醜形障害(症)の患者に典型的な一つのパターンがあるが、それは小学校時代から並外れた成績の良い女子のグループである。彼女たちは周囲から高い評価を受けて思春期に入るが、ある日「成績だけではダメなんだ、可愛くなければ何も評価されない」という現実の一面を知るのである。何か意見を言うと、「ちょっと頭が良いからと言ってブスのくせに出しゃばりやがって」といわれ、可愛ければ、成績が良いと「すごいね」と肯定されるが、可愛くないと「がり勉」と否定され、容姿に異常に拘るようになるのである。
3.容姿に対する健康的な悩みと病的な悩み
自分の容姿・ボディイメージに対して悩むこと自体は異常ではないが、それによって生活機能が障害されたり、美容整形を受けてもどこまでも折り合えず、際限も無く手術を繰り返し求める美容整形依存になるのは異常であり病的と言える。
容姿の一部を異様に醜いと思い込んで悩む身体醜形障害(症)、自己肯定感が持てない境界性パーソナリティ障害や、自分を信じることが出来ない、自分の立ち位置が分からないなどの思春期失調症候群などが病的な容姿・ボディイメージの悩みを抱えるのである。
4.身体醜形障害(症)とは何か
傍目(客観的)には、醜くはないのに、言われてみれば分かる程度の些細な、あるいは空想上の、身体の全部あるいは部分についての外見の問題を過剰にとらえ、極めて醜いと悩み、生活に支障を来しているこころの病気をいう。そして多くの場合において、自分の生きる苦しみ、生活の躓きの原因のすべてをそこに求め、手術的に外見を修正すれば、すべての問題は解決すると妄想的に思い込んでいることが多い。
<定義>
最新の米国精神医学会の「分類と診断のマニュアル(DSM‐Ⅴ)」による診断基準では以下のようになっている。
1)1つまたはそれ以上の知覚された身体上の外見の欠陥または欠点にとらわれているが、それは他人に認識できないか出来ても些細なものである。
-他人から見れば問題ない容姿なのに、主観的に『醜い』と思い込み、主観と客観的評価に大きなずれが生じている、つまり「ボディイメージの障害」を来たしている
2)その障害の経過中のある時点で、その人は、外見上の心配に反応して、繰り返し行動(例えば、鏡による確認、過剰な身づくろい、皮膚むしり、安心希求行動など)、または精神的行為(例えば、他人と自分の外見を比較する)を行う
―自分の顔、姿が映るもの(鏡、窓などなんでも)があれば繰り返し見てしまう、ヘアセット、メイクアップに異常に時間がかかる、周囲の人に「大丈夫だよね、おかしくはないよね」と頻回に確認する
3)その外見へのとらわれは、臨床的に意味のある苦痛、または社会的、職業的、または他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
―物事に集中できず課題がこなせない、学校に行けない、外出が出来ない、人とコミュニケーションがとれないなど生活する上での機能が障害されている
4)その外見へのとらわれは、摂食障害の診断基準を満たしている人の、肥満や体重に関する心配ではうまく説明されない。
―摂食障害の体重、やせに対するこだわり方とは違うもの
なおDSM-Ⅴ分類では身体醜形障害(症)は、DSM―Ⅳの身体表現性障害(身体症状症)から強迫関連障害の中に移動されている。
<症状の特徴>
1)一か所の美醜にこだわり、程度ではなく質的に異様に醜いと思うのが特徴的であるが、実際は、普通以上の美女、イケメンであることが多い。
2)鏡などで顔・姿を何度も確認ししまう。あるいは周りの人に同意を求める。
3)マスク帽子、サングラスでカモフラージュし、人前で顔を出さないことがある。
4)電車に乗れなかったり外出できず、不登校になることもある。
5)美容整形手術で外見の修正を図ろうとし、手術を何回も繰り返す傾向がある。
6)心の中の不安、思い込みの問題が中心にある。
7)自己愛的な苦しみ、強迫的な苦しみで、対人、対社会的な恐れが背景にある。
8)ゆがんだ思い込みで、時には妄想のようになることもある。
9)思春期のつまづき(思春期失調症候群)であることも多く、不登校、引きこもり、家庭内暴力、リストカット、摂食障害を伴うことも少なくない。
10)思春期に多いが、40代にもピークがある。大人の場合は、実は思春期に発症していることが多い。
11)性格傾向としては、本人のエネルギーは大きく,志向性も強く、負けず嫌いで、頑張り屋で、完全主義的な傾向がみられる。(強迫性パーソナイティ)
美容外科、美容皮膚科の患者の10%前後が身体醜形障害(症)の可能性があるとされている。
<発症の背景と心理>
1)母子関係の影響が最も大きいとされる。
エリクソンのライフサイクル論が示す、ⅰ)乳幼児期に母親から絶対的な没頭愛を受けることで、自分や人を信じることが出来る「基本的信頼」、ⅱ)幼児期では分離個体化をはかり程よい距離の母子関係が出来る「自律性」、ⅲ)児童期の「自主性、主体性」のいずれかの課題獲得の失敗によって依存、愛情希求、見捨てられ不安等の母子関係に問題が生じることが問題になると言われている。
身体醜形障害(症)では以下のような母親との間に特殊な心理的な背景の存在が考えられる。
ⅰ)過剰にコントロールする母親―母親は不安を抱きやすく強迫的に頑張るタイプが多い
ⅱ)共感的体験や反応が過小な関係
ⅲ)親の関心を得るために身体症状を訴えるような関係性
ⅳ)母親に圧倒され、その劣等感から母親に認めてほしいという母親との葛藤
ⅴ)不安・心配な抑うつ的な感情に溢れた母親との緊張関係が強い
ⅵ)可愛い自分というボディイメージが親から植え付けられて育ち、「可愛いことが大事」という価値感・根底思考が出来上がっている。
2)思春期特有の心理
ⅰ)児童期に可愛いという自己イメージを作り上げられた人が、思春期になって公的自己意識(他人から見られる自分の姿かたちや振る舞いに向かう自己意識)が育つと、客観的に自分を見るようになり、私的自己意識(自分が自分に描く自己のイメージ)とのギャップに悩むようになる。
また思春期には「美とは何か?」というような形式的操作思考が出来るようになるので、美の本質や形態への思考から理想的な美しいボディイメージを描き、それを私的自己意識として持っているようになる。一方公的自己意識が高まり自分の容姿の現実を客観視できるようになる。そのボディイメージにおける私的自己意識と公的自己意識のギャップに悩む思春期特有の心理が発症のきっかけになるのではないかと推察も出来る。
ⅱ)思春期の体の変化への恐れ、拒否
可愛いといわれてきた自分が変化して行くことへの自我防衛としての拒否の現れとして醜形恐怖を示す
ⅲ)人は個体として生まれて、家族共同体に依存し守られて成長するが、思春期は社会共同体に参入して共同体に依存し共存していく存在に変わる過程であるが、その際に自分の寄って立つ術としてのアイデンディティが必要になってくる。それが上手く醸成されない、あるいは醸成されつつある過程にないと、不安・恐怖心が共同体への参入拒否の心理を生み、その表現形の一つとして身体醜形障害(症)の形をとるとする見方も出来る。登校拒否、自傷障害、摂食障害、不適当行為などの思春期失調症候群はその表現型であると考えられる。
3)発症にはキッカケがある
きっかけは揶揄や友情の裏切り等、心の外傷体験、敗北体験が容姿の不満に短絡して発症することが多い。
*美容整形の手術をしたことで、そのことに他人が気付いているのではないかという強迫観念が、実際にはうまくいっているのに、どうしようもなく醜くなったと思い込ませるきっかけになった例もあった。
*訴える醜形の部位が、かつては目、鼻などがほとんどであったが、最近は顔の輪郭が変だという訴えが目立つようになった。これは美容外科で顎や頬骨を形成し、顔の輪郭を修正する手術をするようになった最近の事情が背景にあると思われる。身体醜形障害(症)は必ずしも了解不能な荒唐無稽な訴えではではなく、現実検討が出来ている場合も少なくなく、美容整形広告のネット上の氾濫との微妙な関係を表している。
5.思春期失調症候群とは何か
日常の診療で身体醜形障害(症)の人を診ていると、「自分を信じられない」「生きている意味が分からない」「存在する価値が見いだせない」等、自分を肯定出来ないことに悩む人が少なからずいることに気が付いた。それは不登校・ひきこもり、摂食障害やリストカットなど自傷症候群、境界性パーソナリティ障害の人たちに共通する思いであり、またそれらの障害を合併している人も少なくない。
そこで、身体醜形障害(症)を身体表現性障害や強迫性障害、社会恐怖症などの視点からだけで捉えるのではなく、不登校・ひきこもり、アパシー、家庭内暴力、摂食障害、リストカット、境界性パーソナリティ障害に共通する成因を見出すことで、身体醜形障害(症)も、より本質的な理解が出来、治療法も変わってくるのではないかと思うようになった。
身体醜形障害(症)を不登校・引きこもり、アパシー、家庭内暴力、摂食障害、自傷症候群、境界性パーソナリティ障害などと同じように、エリクソンのライフサイクル論から見て発達段階の課題の未消化、つまりⅰ)乳幼児期の「基本的信頼」、ⅱ)幼児期の「自律性」、ⅲ)児童期自主性」獲得のつまずきが、思春期の課題「アイデンディティ獲得」の妨げになっている「思春期失調症候群」として捉える考え方を提案した。
6.境界性パーソナリティ障害とは何か
<パーソナリティ障害の定義>
考え方や行動のパターンが著しく偏っていて本人や周りを悩ませる人格をいう。
平均的な人たちとは違う考え方や行動をする人は、一般に個性的と言われるが、パーソナリティ障害は、それが本人や周りを悩ませ、家庭生活や社会生活に支障を来している状態のものをいう。
<パーソナリティ障害の症状の特徴>
パーソナリティ障害は、大きく3つのカテゴリーと10種類に分類されているが、全般に「共通する特長がある。
1)「自分への強いこだわり」を持っている。自分に囚われていて、自分についてばかり語りたがる人や自分のことを決して他人に打ちあけない人もこだわりが強いのである。
2)「とても傷つき易い」、健康なパーソナリティの人には何でもない一言や些細なそぶりさえパーソナリティ障害の人を深く傷付け、軽い冗談のつもりの一言を、ひどい侮辱と受け取ってしまったり、無意味な咳払いや雨戸を閉める音さえ、悪意に感じ傷つくこともある。これらの性格は「対等で信頼し合った人間関係を築くことの障害」をもたらす。さらには
3)「愛すること、信じることの障害」にもつながっていく。どのタイプのパーソナリティ障害も愛し下手という問題を抱えている。
これらの特徴的な障害は、パーソナリティ障害が自己愛の傷害であることに由来している。自己愛とは「自分を大切に出来る能力」であり、これが育っていないと人はうまく生きていけない。強い自己否定感は「境界性パーソナリティ障害」で強くみられるが、これはまさに自己愛が損なわれているためであり、逆に弱さや傷つきやすさを補おうと自己愛を過剰に肥大している場合は自己愛パーソナリティ障害となる。
その他のさまざまなパーソナリティ障害も傷つきやすい自己愛の防衛の様々な形態と見る事も出来、その防衛が崩れた時はどのタイプのパーソナリティ障害も境界性パーソナリティ障害の様相を帯びるのである。
パーソナリティ障害の人は前述のように、傷つきやすい自己愛に由来する生きづらさの中で暮らしている。その中で、生きて行くために、生きづらさを補うために、その人特有の適応のパターンを見つけ、繰り返すうちに偏った考え方、行動のパターンを身に着けてしまったのがパーソナリティ障害ということが出来る。
<境界性パーソナリティ障害の特徴>
境界性パーソナリティ障害はB群のドラマティックタイプ(気まぐれで華やかで感情が激しく不安定で衝動的なタイプ)の1つであり以下のような特徴を示す
1)気分と人間関係で両極端をめまぐるしく変動する
2)感情が極めて不安定で他者の評価も賞賛と幻滅が即座に入れ変わる。
3)アップダウンが激しく激情的な反発をする。
4)見捨てられ不安が強く、愛情と関心を求めて激しい自傷・自殺企図を行い周囲をコントロールする。
5)根底に基本的な愛情や安心感が培われていなく、自己否定感を抱え空虚感を持っていて自分を大切に扱えない。親に深いこだわりを持っている。(基本的信頼の欠損、基底欠損に由来する生きることに実存的に悩む)
<境界性パーソナリティ障害の発症の要因>
発症は以下のように説明される。
1)基本的信頼の獲得失敗
人生最早期の養育によって乳児期の掛け値の無い愛情「没頭愛」と必要な「共感」「抱っこ」が与えられないと基本的信頼の欠損(エリクソン)、偽りの自己への分裂(ウイニコット)、基底欠損(バリント)におちいると言い、自分や人を信じることができないという、もっとも重いパーソナリティ障害の状態となり、あらゆるパーソナリティ障害形成の原型になる。
2)分離個体化の失敗
1歳半から3歳くらいの幼児期に母親との分離個体化が行われるが、母親を一人の全体像として受け止められる「全体対象関係」として行われることが重要で、それがうまくいかないと、敵か味方か、すべて良いか悪かの「全か無か」の両極端の思考や感情を示す部分対象関係―(妄想分裂ポジション)となる。自分の非を認めることが出来ず、悪いことはすべて相手に投影される。これがパーソナリティ障害の人が示す「傷つきやすさ」や「異常な攻撃性」の本体である。
カーンバーグはこの妄想分裂ポジションにあるパーソナリティ障害を精神病と神経症の境目にあるものとして境界性パーソナリティ構造とよんだが、これは今日パーソナリティ障害と言われるものの大部分を含む概念であり、境界性パーソナリティ障害において顕著だが、僅かに強迫性パーソナリティ障害と回避性パーソナリティ障害のみが神経症パーソナリティ構造に分類される。
母親が子供に安心と満足を与えながら、同時に、徐々に、分離を図っていくことによって、対象恒常性や全体対象関係の発達がうながされるが、様々な事情によってその過程が妨げられると、そこに留まったり、いびつな発達を遂げる。完全に満たされる時期と分離個体化によって、次第に小さな傷つきに耐えられる力を養い抑うつポジション、全体対象関係に至るのが重要なのであるが、また溺愛され過ぎても母子の分離個体化がうまくいかず、忍耐力や自己統御能力を損なう。
3) 自己愛の病理
コフートによれば、分離個体化から4,5歳までが自己愛の発達に重要な時期である。自己愛は自分を大切にする能力であり、バランスよく育つことで人は生きやすくなる。自己愛が健全に育つためには親によって自己愛の欲求が適度に満たされながら、同時に、親の助力や支配を徐々に脱して行くよう導かれる必要がある。その過程が急速過ぎたり、親の支配が続いたりすると自己愛の傷つきが生じる。
分離個体化の頃になると未分化な自己愛は「誇大自己(万能感に溢れ、何でも思い通りになると思い絶えず母親から賞賛と見守りを求める存在)」「親の理想像イマーゴ(神のように強く,やさしく、何でも満たしてくれる理想的な母親のような存在)」へと発展する。
「誇大自己」の顕示承認要求が親によって満たされないと、いつまでもその人の中に残ってしまい、病的な発達を遂げる。「親の理想像」が現実の親によってひどく裏切られると、過度に理想化されて存続しその人を支配し続ける事になる。
(愛着障害になりやすい)
幼い誇大自己は思い通りにならないと全能感が傷つけられ自己愛的な怒りで癇癪を起しキレる。この「自己愛の障害」はall or noneの「妄想分裂ポジション」によるものであり、「境界性パーソナリティ構造」とも同じものを指している。
パーソナリティ障害を生む最も大きな原因は、親である。親が子供に与えてやれる最も大切で、かけがえの無いものは、「自分を大切にする能力」、すなわち「自己愛」であり、「基本的信頼」ではないかと思われる。
この能力をたっぷり与えられなかった子供は様々な生きづらさを抱えて生きることになる。この人生の最早期の愛情と世話の重要性は、その後の人生のどんな経験の影響と比べても、その比ではない程大きい。
7.美容外科医の整形志望患者に対する責任について
美容外科を受診する患者は、基本的に理想とする自己像を描いていて、それに近づくために手術を受ける。しかし、どんなに完璧な手術を受けようとも、患者の理想像が獲得されることはまずない。なぜなら患者が術前に描く理想的な自己イメージと美容外科医が描く患者の術後のイメージが完全に一致することはまずないからだ。従って多くの患者は理想とするイメージを求めて手術を繰り返すことが多い。しかし現実的には完全な理想像を得ることは不可能であるから、どこかで折り合いをつけ現実を受け入れなければならないが、レジリエンス(ストレスに抗するこころの強さ)が弱いとそれが出来ず、それ以上手術を繰り返せば結果がマイナスになってしまい悪循環過程に入る手術臨界点を越えてしまい悲惨な結果を招くことになる。
美容外科医は患者の手術臨界点を十分認識しつつ、患者がそこに至る前の何処かで手術結果に折り合うように説得するか、術前に、どこかで折り合えるこころの強さ、レジリエンスを持っているか見定める倫理的義務がある。
それには最低限、身体醜形障害(症)、思春期失調症候群、境界性パーソナリティ障害の知識を持ち、それらの患者の識別をする必要があり、間違っても「患者が望んだから、、」という理由で徒に手術を繰り返し医原的な美容外科依存患者を産んではいけないのである。
患者の訴えが現実離れしていたり、リストカットや摂食障害があれば、専門医にリエゾンするのが好ましい。しかし実際にそれに十分応える精神科医が殆どいないのも現実ではあるが、日頃から信頼できる精神科医と連携しておくことは、手術における解剖学的、形成外科学的な知識の習得と技術の研鑚・練磨と同様に、美容外科医の最低限の倫理的義務ではないかと思う。
8.整心精神医学Orthopsychiartryとマインドフルネス・レジリエンス療法MBRT
現代の精神医学は脳の一次的な形態学的変化に起因する器質的精神病(転換、アルツハイマー病、脳血管性痴呆など)と、形態学的変化のはっきりしない内因性精神病(統合失調症、双極性障害、うつ病など)と心因によって精神症状を来たす神経症(パニック障害、不安障害、強迫性障害、解離性障害、心身症など)に大別され、主として薬物療法が行われているが、それらに属さず、薬が効かず有効な治療法のない一群の疾患群がある。パーソナリティ障害、依存症、思春期失調症候群(摂食障害、身体醜形障害(症)、自傷症候群、不登校、家庭内暴力)などであるが、筆者はそれらはいわゆる精神疾患というより、正常との中間に位置付けて考え対処すべきものと考えている。病気とは言えないが、正常な精神生活を障害されている状態を正常に持って行く精神医学として整心精神医学Orthopsychiatryの概念を提唱している。そこでは効果のない対症療法的薬物療法を用いないで、ものごとに対する考え方、解釈の仕方をかえる訓練を主体とし、マインドフルネスを利用して思考停止・エポケーのコツを習得してそれを支える方法としてマインドフルネス・レジリエンス療法(Mindfullness based Resilience Therapy:MBRT)を考案し行っている。
そしてさらには、生活に直接的に大きく支障をきたしているわけではないが、生きることに悩み、生活に心理的に適応できず、日常生活の質を下げているこころの状態を扱い、こころに平衡を取り戻し、こころを健康的で幸福感で充実した状態にし、前向きにポジティブな生き方を目指す、いわばこころの美容をはかる精神医学として美容精神医学の概念を提唱し、レジリエンスの弱い人びとや高齢者の精神生活の向上を目指している。