「精神波」-心は波動である(総説)
「心とは何か」は、生命、宇宙の謎と並んで、人類が残してきた重要な未解決問題である。宇宙の誕生から、現在、未来の謎を解く課題は、量子論あるいは量子論と重力論(相対性理論)の統合した理論体系で研究が進んでいる。(例えば、超ひも理論、ツイスター理論)。心脳問題も量子論が関係しているとする直観があり、心も量子的な性質で説明できるのではないかという意見も少なくない。
先に見てきたように,心脳問題における現在の主流である還元的一元論では、こころにはニューロンが関与するとされ、ニューロンが直列的に信号を伝播し作動するのではなく、オーケストラがシンフォニーを奏でるように、ニューロンが並列,重層的に発火し共振するのではないかという推論があり、そこから量子論の共存性の概念が適応されるというのは説得力のあるところである。
従って、心が量子的な性質、少なくも「波」としての性質を有すると直観するのは全くの的ハズレではないと思われる。
ド・ブロイは電子のような物質粒子が波としての性質を持つとして、その波の性質を「物質波」と名付け、量子論の基礎を築いた。私は、心にも波としての性質があるとし、物質波に対比して「精神波」の概念を提唱しようと思う。
これは基本的に、私が精神医学を学ぶ中での、暗黙知による直観的創発であるが、創発となった、いくつかの要因を上げることでその根拠の代わりにしようと思う。
1.量子論とユング心理学の類似性
自然界の2大理論として、「相対性理論」と「量子論」があるが、相対性理論は時間や空間という「自然界の舞台」としての理論、量子論はその舞台に立つ電子などの「自然界の役者」としての理論と言える。
量子論がかかわらない物理学を古典物理学といい、ニュートン物理学、電磁理論、相対性理論が含まれる。古典物理学はラプラスの魔物に代表されるように「決定論」であるが、量子論(実証論の)は、非決定論であり、ニュートンの『モノの世界観』を「ことの世界観」に変えた。量子論は従来の概念からは素直に了解しがたい概念を含むものであるが、つまるところ量子論のキーワードは2つに要約されよう。
- ① ミクロの世界では光や電子など量子的物質は、「粒子の性質」と「波の性質」を持っている。(波と粒子の二面性)
- ② ミクロの世界では一つのものが同時に複数の場所に存在できる。(状態の共存性)状態とは、位置やスピンのことを言う。
これらの、相反する性質が相補って存在し機能することを、量子論では「相補性」と言う概念で説明している。
ニュートン力学では、物質の振る舞いを決める基本となる方程式はニュートンの運動方程式であり、量子論ではシュレディンガーの方程式である。それは波動関数Ψで示された。この数式が何を意味するかで二派に分かれて論争があった。Ψは量子という実体を現す波であるとし、量子は局所に実在し、その性質も完璧に決まるし、完全な理論があれば位置も動きも計算もできるはずであるという「実在論」を言う立場の、ド・ブロイ、シュレディンガー、アインシュタインのグループ。Ψは量子そのものではなく、量子が存在する確率の波であり(コペンハーゲン解釈)、理論による計算値が実験データとあって実証できれば、その過程はどうでも良いではないかとする「実証論」を言うボーア、ボルン、ハイゼルベルグのグループである。
アインシュタインは「神様はサイコロ遊びを好まない」と言って、量子の位置が確率でしか表せないのは現在の量子理論が不備であるためと言い、EPRパラドックスという思考実験を示し量子論の不備を示し、シュレディンガーは「シュレディンガーの猫」という思考実験で状態の共存性のまやかしを突いた。
しかしジョン・ベルは、アインシュタインの隠れた変数の存在が前提(実在論)で成り立つ、「ベルの不等式」が、実際には量子論のシュレディンガーの方程式(アインシュタインも認めた)の計算値では成り立たない事を示し、さらにアラン・アスぺは実験的にそれを証明した。結局、論理学で言うところの対遇で、つまりベルの不等式が成り立たなければ、アインシュタインの変数理論も成り立たないということになり、アインシュタインらの実在論の主張は退けられた。(これはコペンハーゲン理論が100%正しいということには、必ずしもならないが。)
量子の電子同士が<超>光速信号で繋がっていることを思わせる非局所性(non locality)は避けがたく ,瞬間移動の存在(量子テレポーション)を立証することになった。しかし、かといって、死んだ猫と生きている猫が重なり合って共存しているという考え方や、波動の収縮で無数の電子が瞬時に消え去るというコペンハーゲン理論が完璧な説得力を持ったというわけではなく、「量子的な絡み合い」や「多重世界的な解釈」等の概念が生まれ、またボームの様な異端の量子論もあり、論争は未だ決着を見ていない。
ユング心理学では
ユング心理学は、意識、無意識の間や、4つの心理機能の間に相補性があり、心のバランスを保っていることを強調しているし、また心の働きに、意味のある偶然の一致meaningful coincidenceや共時性synchronasity の概念でテレポーション(遠隔作用、瞬間移動、虫の知らせ)の実在性を言っている。
これら相補性と、共時性、共存性の概念における量子論とユング心理学の類似性から、心の作用と量子の振る舞いには共通性があり、したがって量子の持つ性質が心にも共通するものとの推測が成り立つ。
以上が心の波動性を創発させた要因の一つとなっている。(もっともユングの意見に賛同する事が前提ではあるが。)
2.心の量子論;ペンローズの考え
ホーキングと「特異点定理」を証明した世紀の天才数理物理学者とされるロジャーペンローズは心の仕組みを、意識は必ず物質的な基礎を持つという還元的唯物論の立場から、意識を量子論を基礎に、それを越える量子重力理論で解明しようと(し、それをツイスター理論で説明)している。彼は量子論では実在論のグループに属している。
ペンローズの言う意識は、意味の理解から生ずる非計算的なものであり。ロボットのように計算的なシステムで動くものは、意味の理解ができないから意識が生ずることはないという。また、生存のためには意識は機能的な役割を果たすと考えている。
意識は部分の寄せ集めではなく、一種の大局的な機能的な能力であり、おかれている全体的な状況を瞬時に考慮し判断できることから、量子力学が関係すると考えている。
しかし意識の非計算性は、シュレディンガーの方程式の収縮におけるランダム性(観測問題)だけでは説明できず、現在の量子理論では意識を説明するのに不十分であるとする。
また、そもそも現在の量子力学はマクロの説明は全くできないことから根本的な欠陥があるのではないかとの考えから、量子力学を越えた、量子場の理論(>量子理論)と一般相対性理恵論(>重力理論)を統一した「万物の理論」としての量子重力論お必要性を主張し、それをツイスター理論で説明しようとしている。
そして、意識の作用は量子重力的な効果、すなわち波動関数の自己収縮(客観的な波動関数の収縮)で説明できるとしている。
具体的にはニューロンのマイクロチューブルで、量子学的な重ね合わせが形成され、コヒーレント状態が保たれると意識が生まれ、量子重力理論で与えられるエネルギーの閾値に達すると波動関数の自己収縮が連続して起き、意識の流れが生まれるとしている。
⇒マイクロチューブリンのコヒーレントに重ね合わされた量子力学的な状態は、まさしく波動であり、波動関数の自己収縮が自己組織化されオーケストラのように調整され、意識に関連しているという意見は、少なくとも意識に波動的性質があるということ意味しているといえよう。
3.ニューロンは波動である。
心脳問題で(心脳問題と量子論①②③)述べたように、現在では、心はニューロンの何らかの働きによって生まれるというのが、多くの見解の一致するところである。
ニューロンは細胞であり物質であるから波動性(物質波)がある。そのニューロンから生まれる心に波動性があるとするのは不自然ではない。
4.神経活動の同期と意識の結合問題
意識の第二のレベルである気づき(視覚、聴覚、嗅覚などの感覚)は、脳の異なる複数の部位で処理された情報を一つに統合、結合して認識する必要があるが、その機序は神経活動が同期した時に情報が束ねられて意識が生じるという理論があり、実験的にも視覚系(Singer)や嗅覚系(Freeman)において確認されている。⇒これは意識が同期によって生じることから、波動であることを前提にしている議論である。
5.単細胞の振動の意味すること
粘菌はアメーバ様運動をする巨大な単細胞であるが、高等動物の脳の働きに類似する高度な情報活動を行っている。この秘密は、リズム性と形状変化にある。原形質は振動する代謝反応に起因するリズムを示し、したがって細胞は多数の振動子が結合したネットワークを形成する。形状変化は振動子間の結合状態を変える。このように粘菌は、脳でのシナプス結合の変化に相当することを時々刻々都行い、細胞全体にわたる動的パターン形成をもとにして情報判断や行動制御を行っている。(上田哲男、中垣俊之:細胞に心はあるか。脳と心のバイオフィジックス、共立出版社、1997年)
⇒これは細胞心理学の可能性を展望する論文の要約であるが、原生生物においても、意識が振動に関連する可能性を示し、また、細胞の振動子が結合し全体系の集団ダイナミクスが情報処理や計算の基礎になっていることの示唆は、現在、脳の活動が神経回路網のダイナミクス(ニューロンシナプスの可塑性の問題)として理解されつつあることと関連していて興味深い。
身体における同期現象に心が影響する心拍の力強い、超多数回の運動は、心筋細胞一つのリズムが同期して細胞塊の集団リズムに変わり大きな心拍動になることで実現している。
これは自然界に見られるミクロリズムを集めマクロリズムにまとめあげようとする自然界の力である。
リズム振動は波動である。心拍のリズム振動は神経系、内分泌系、免疫系の伝達物質の影響を受けるが、心の影響も受ける。心が波動で同期するからではないか。
6.中村雄二郎の汎リズム論
哲学者中村雄二郎は、自然、宇宙のあらゆる物理現象から生命現象はリズム振動が基礎であり、音楽の感動も、リズム体である音楽が、同じくリズム体である生命体に共振作6によって身体に働きかけるためであり、単に知的、精神的なものではないとし、広く絵画などの芸術も根源はリズム振動の共振であるという「汎リズム論」を言っている。[中村雄二郎:表現する生命、青土社、1993、中村雄二郎:共振する世界、青土社、1993)
⇒ここでは、身体、精神が振動体であることを前提においている。
7.精神症状と量子論の親和性
幾つかの精神症状は量子論の現象に類似性がある。意識を量子論と結びつける発想を支えるかもしれない。
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① 自我漏洩とトンネル効果
電磁波は障害物を透過する性質がある。可視光はガラスを透過するし、携帯の電波も壁を透過する。電子も波の性質があるため壁をすり抜けることがある。原子核は通常、「強い核力」により陽子、中性子が強固に繋がり、また周辺をエネルギーの障壁で守られているので崩壊することはないが、原子核のアルファ崩壊はアルファ粒子がトンネル効果でエネルギーの壁をすり抜けることで起きるとされる。
エネルギーと時間の不確定性関係では、ごく短時間であれば、障壁を越えるだけの大きなエネルギーを得ることが出来るため、障壁をすり抜けたように見えるわけです。自我は原子核に例えることが出来る。自我は自我境界で守られ統一性が保たれている。しかし、自我も境界が脆弱化すると、自我が漏洩し、作為体験、構想吹入、考想奪取などの症状を呈する。(幻覚、妄想も関係する?)電磁波、量子の波動性がトンネル効果をもたらすように、自我漏洩もトンネル効果の一種と見れば、心に波動的な性質があると捉えることは出来るのではないか
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② 多重人格と多重世界解釈
ICD-10では多重人格障害、DSMⅣでは解離性同一性障害と呼ばれる、「2つ以上の別個の人格が同一個体に存在し、ある時点ではその一つだけが明らかになる病態」がありますが、これは量子論の、コペンハーゲン解釈の「多様性が一つに収縮し、他は瞬時に消滅する」という矛盾を、「多様性の数だけ多世界が存在するが、そのうちの一つだけを認識する」と解釈することで、矛盾を解消する多世界解釈に通じるものである。多世界各々に自我は存在し得るが、複数の世界に行くことは出来ず、一つの世界を認識すれば他の世界を認識することは出来ないとされ、多重人格は、例外的に複数の世界を行き来する状態といえる。
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③ 「力動」、「相補性」と「量子的なからみあい」
フロイトは無意識と言う概念を作り、それは常に意識と相互に密接に関係性を持っているとし、ユングも内向、外交的態度や主機能、劣等機能の関係において、意識の態度が一面的になると、それを相補う働きが無意識内に存在することを強調している。量子論においては、量子はある関係性においてはペアになることがあるとされ、その関係は空間的に距離が離れても無関係にはなれないとされる。例えば「シングレット」という特殊なペアの場合、量子1と量子2のどちらかが「上向き」の回転軸を持っていると、もう片方が「下向き」の回転軸を持っているが、観測以前は、量子1も量子2も具体的な回転軸の状態は決まっているのではなく、決まっているのは「互いの回転軸の方向が反対だ」ということだけである、というような関係を、量子1と2は「量子的なからみあい」の状態にあるという。
このからみあいの関係は、意識無意識の力動関係、相補性に通じるところがある。
8.DSM5の見解から
DSM5では、DSMⅢ,Ⅳの診断可能な症状の項目を集めたカテゴリ―診断学的な考えを改め、統合失調症、気分障害、広汎性発達障害カテゴリーにおいて、類似周辺疾患とされた独立した障害名が外され、一つのスぺクトラム(連続体)として扱うようになった。スぺクトラムとはいくつかの波長の電磁波が集合(干渉)していた光ををプリズムで屈折させ分散させると、明確な境界が無い連続性のある波長帯を描くという光が波動であることを示す現象をいうことから、スぺクトラムと解釈できる精神症状も波動的性質を持つとの意味合いを含んでいることになる。
これは心が波動であるという主張の傍証になるものと考える。
以上羅列した各事項は、各々が、心、意識、精神に波動的な性質があることを含んでいたり、示唆するものであり、それらが集まって全体性として全く別の新しい意味あいとしての波動性を生じた、ものとは言い難い面がある。従って、「心が波動である」という考えは創発には当たらず、自然な帰結といえるのかもしれないが、「精神波」というような包括的な言葉が無かったことから、そのような表現にしたものである。