自傷・リストカット症候群
自傷、リストカットとは
「自傷」とは、自殺を目的としないで自ら自己の身体を傷つけることで、軽く手首を切る程度から,髪を引き抜く(抜毛癖)、爪を抜く(抜爪癖),壁に激しく頭を打ちつける、眼球や乳房をくりぬくものまである。
自傷行為は摂食障害と密接に関係し、自傷行為、摂食障害、物質乱用は「故意に自分の健康を害する」症候群の3徴候を構成している。
自傷は、子供時代の心理的、性的虐待が遠因とされる解離性障害や、離人症、境界性パーソナリティ障害、自己愛パーソナリティ障害、無力妄想、統合失調症、うつ病、てんかんのもうろう状態、などでみられる。
代表的なのが「リストカット症候群」であり、欧米から約10年遅れて1970年代後半からわが国でも多くなった。
自傷する理由としては、「イライラを抑えるために」「つらい気分をスッキリさせたくて』など不快な感情の軽減を目的にするものが60%をしめ、「つらい気持ちを分かって欲しい」など周囲の関心を求めるアッピール的なものと言うより、誰の助けも借りずに辛さに耐え、苦痛を克服するための「孤独な対処」と言うことができる。切ることで痛みを感じる人は10%くらいとされ、多くか殆どは、全く感じないといい、それどころか自傷を繰り返すのは脳内麻薬物質エンケファリンが産生され快感ですらあり、それに依存しているのではないかという意見があるくらいである。
*自傷の背景
自傷者と成育環境の関係を見ると、多くの研究では幼少期の被虐体験が6割以上に見られ、また家族にアルコール依存症がいるなど、いわゆる機能不全家族に育ったアダルトチルドレンも6割に及ぶとされているが、しかし最近ではそのような成育環境に問題の無い、仲間やメディアの影響で自傷する「新世代の自傷」と言われる自傷者が増えているといわれている。
かつては自傷行為は精神医学では、対人関係や感情面の不安定さと衝動性から境界性パーソナリティとほぼ同義語に扱われてきたが、その後の研究では境界性パーソナリティ障害の診断基準を満たしたものは半分に過ぎないといい、自傷行為そのものを治療対象にするべきという考えが主流になって来ているようである。
多くの研究者が自傷と解離性障害との密接な関係を指摘しており、
「切っている時に痛みを感じないが、血を見ると我に返って『あ、生きている』と思ってほっとする」という自傷者がいるが、切る時には痛覚の鈍麻、現実感の希薄化や離人感が生じていて、切って現実に戻るという感覚は、つまり自傷行為が離人症に近い解離状態で行われていることを伺わせるものである。
解離の背景には許容範囲を超えた衝撃や恐怖の外傷体験があるのではないかとされ、自分ではコントロールできない強烈な苦痛や恐怖から自己を保護するために意識を遠ざけて自己防衛するのが解離性障害であり、それは「自分の実感が無くなる離人症」から「記憶までなくなる同一性障害」まで連続的なスペクトラムとして理解されています。
自傷常習者は、忌まわしい過去や思い出したくない思いにかられた時に、解離状態になり、それから現実感に回復するために自傷するのが習慣化したものと捉えることも出来る。
*自傷の心理
自傷する人は、自分の生きる苦しさを分かってもらいたいという承認要求であったり、親や親に替わる人の変わらない愛を求める愛情希求が根底にあるとされ、本人は追いつめられた状況からの逃げ場として切ってしまう、自分の存在の確認のために切って、出血を見ると生きていると実感でき安心するという人もいる。
まとめると、自傷者に共通してみられる心理は、自己評価の低さが基底にあり、不安、抑うつ、無力感、実存感のなさ、見捨てられ感、愛情希求、注目願望などであり、自傷は、言語化の代わりに行動化acting outするもので摂食障害や物質依存(時には身体醜形障害(症)も)を伴うことが多く、登校拒否、家庭内暴力、万引き、薬物乱用、性的逸脱行動などと同様に衝動抑制障害によるものとされている。身体意識離人症では出血を見て自己確認をする、無力妄想では「生きている」を実感すると言われるが、行為の実感性は乏しく、痛みも伴わない事が多いとされている。
*対応の仕方
自傷行為とは、自殺企図とは違うものであるが、誰かの真似でも、誰かの関心を引くための演技的・操作的な行動でもなく、何らかの苦痛が存在しているのに、自分なりにうまく言葉に出来なくて、分かってもらえないという辛い状況の中で出てきた行動であるということを理解し、しかし何もしないでおけば自殺に追い込みかねないということを認識して対応することが重要になる。具体的にはⅰ)頭ごなしに「自傷は止めなさい」と言わないこと。強圧的な態度は、本人の「分かってもらえないという苦しさ」を増すことになり自傷衝動を増長しかねない。2)援助を求めながらも、それなりに「自分自信で克服しようとしている気持ちがある」ことを理解評価し共感する。これは苦しみの軽減に繋がる。3)「エスカレートすることの懸念」を伝える。心配しているという愛情を伝え安心感を与える。4)「もうしないって約束してね」などと無意味な約束を強要しない、単に親や援助者が自分の不安をとるためのものと取られ、逆効果になる可能性が高い、などがポイントになろう。
*こころの治療
自傷行為が病気かどうかは見解の別れるところなので、これに対する対処を治療というか援助というかは見解の別れるところであるが、治療の最終目標は、「自傷行為が消失することではなく、本人が生き方を変えて新しい自分になること」、であると考えて行く必要があるように思われる。なぜなら、自傷する人の問題は、皮膚を切ることだけが問題ではなく、その行為でしか自分の生きづらさの解消がはかれないという自我の弱さ、人格の未熟さに問題があるのであって、そこが変わらないと生きづらさは変わらず、単に自傷の代わりに他の問題行動に移るにとどまるからである。
当院では、リストカット症候群を思春期失調症候群の一つとして捉え、マインドフルネスレジリエンス療法とレジリエント生活・食事療法で治療を行って行く。
心理療法では自分が生まれ生きていることの価値が肯定できないという自己否定感を招く、自我の根本的な障害である「基底欠損」の状態をもたらしている背景に何があるかを見つめ、自分を肯定できるよう家族も含めてカウンセリングをしていくことが大事でなる。親の虐待、ネグレクト、母子の歪んだ関係など家庭の問題であったり、学校のいじめであったり様々ですが、一緒になって問題の深層を掘り下げ、正面から対峙し、否定的な思考法や認知の仕方をポジティヴな方向に変えるように認知療法的なアプローチ(マインドフルネスレジリエンス療法のABC分析)と同時に、「人間とは何か」「生きる意味とは何か」などの哲学的な実存的、根源的なテーマについても話合って行くことが重要になるが、そこでは継続的なカウンセリングと家族の理解と協力が必須なものになる。
認知行動療法的には、日常的には自傷のマネジメントをするために行動表を作成し、自傷に至るタイミングを見つけ、その際に有効な代償置換スキルを見つけて行くのが効果的である。(マインドフルネスレジリエンス療法のリアルタイムレジリエンス)
抑うつ状態が強く行動化が激しい時は、セロト二ンを増やすSSRI、衝動行動が頻発する時はドパミンを下げる少量の非定型向精神薬などの薬物療法も考慮し、自傷行為がエスカレートしないよう見守っていきます。
*傷跡の治療について
自傷行為による傷跡は、手術で消去してしまうと、それが新たな自傷行為再発の誘因になる場合があるとし、傷跡を「お守り」のようにして残し隠さず堂々していればよいという意見も一方であるが、かと言って皆が皆その様にして生きていくのが良いとも思えません。
リストカットの傷跡は、現代の社会では未だネガティヴなイメージが強いので、社会生活を始めるにあたって傷跡を消去したいという気持ちを無視することも出来ないと思います。
リストカットの瘢痕は線状で一本、一本は著しい醜状を呈さない場合もありますが、多数の新旧入り混じった瘢痕はリストカットであることを歴然と示し特徴的で、心が回復してもそのような傷跡が社会生活の障害になり、それが新しい苦痛、悩みとして残る場合も少なくありません。
形成外科的治療について
傷跡の治療目的は、理想的には傷跡を完全に消去することですが、医学的に人間の身体の創傷治癒の生理機序(傷は瘢痕形成して治癒する)から言って、瘢痕は決してゼロにはなりませんから、傷跡を完全に消すのは理論的に不可能ということが前提になります。つまり、傷跡治療は、より目立たない瘢痕の状態にするのが目標になります。
治療法は傷跡の状態により様々な方法が考えられます。
瘢痕同士が、距離を置いて離れていれば、一つ一つ瘢痕形成術を行い、出来るだけ目立たない線状瘢痕に仕上げていきますが、それでもよく見れば、横に走る白い瘢痕は残ります。
傷跡が密集している場合はそれらを一塊の瘢痕として捉え、縫合線がリストカットのように水平にならないようにW形成、Z形成術をデザインし、瘢痕を面積として切除します。そうすることで新しい傷跡(瘢痕)は縦方向になり、リストカットの傷跡ではないようにカムフラージュできます。面積が大き過ぎて一度の手術では取りきれないときは、術後数か月後に皮膚が伸展したところで、残りを繰り返し切除して行きます。この場合も瘢痕はゼロにはなりませんが、通常の怪我で負った傷のように傷跡の質を変えることで印象を変えることが出来ます。
非常に広い範囲の瘢痕に対しては、組織拡張器(ティッシューエキスパンダー)を用いて、周辺皮膚を延ばして切除範囲を増やすのも有効ですが、実際には切除後数か月もすれば、皮膚にゆとりが出来るので、数回切除(serial excision)を繰り返せば、前腕皮膚の相当程度までは切除できます。
いずれにしても、リストカットの瘢痕は症状、程度も様々であり、一概に一つの方法で対処するのではなく、場合によってはいろいろな手術的な治療が有効であったり、あるいはレーザーなどの光器械治療が有効であったりし、最終的には化粧でカバーメイクする方法もありますので、一つの治療法に限定せず、コストパフォーマンスを考えて総合的な判断が出来る形成外科医の診断の元で治療方針を決めるのが賢明であると考えています。
手術適応時期については、自傷が止まっているか精神医学的に見極めてからが原則ですが、傷がどんどん増えているのにそのまま看過するのも辛いものがあります。リストカットに走る精神病理的背景は、離人症など神経症ならまだしも、パーソナリティ障害、無力妄想などでは精神科治療が困難な場合も多く、そのような場合は加齢による自然寛解を期待しつつ、それまでの間はカウンセリングで、また行動化が激しい時は薬物療法を併用することで、新たな傷を増やさないよう維持するのが望ましいと考えています。
当院では、リストカットをさせない、残った傷跡は綺麗にするという両方向からの治療を進めることで、健康な社会生活への早期復帰を目指していきます。
思春期失調症候群について
マインドフルネスレジリエンス療法について
レジリエント生活・食事療法について
参照文献
①中嶋英雄;精神救急、「創傷のすべて」市岡滋他編、克誠堂出版、2012
②松本俊彦;「自傷行為の理解と援助」、日本評論社、2009
③柴山雅俊;「解離性障害」P13,65,89,123,139: ちくま新書、2007
④スザンナ・ケイセン;「思春期病棟の少女たち」吉田利子訳;.p185:草思社,東京,1995