患者Y氏の生家を探す半日の旅
私が勤務する群馬病院の話です。
私の担当する病棟のY氏という70歳の慢性統合失調症の患者さんの
福祉サービス更新の手続きと、近々住民票を病院に移す為の下準備を
兼ねて、住民票のある市役所に行くことになり、ついでに最後に生家を
見ておきたいというY氏の希望を叶えるという事で、精神科ソーシャルワーカー(精神保健福祉士)のI氏の引率で、患者と私の3人で生育地である
桐生市まで半日のプチ旅行に行くことになった。
内緒であるが、本当は私は必要無いのであるが、桐生に滅法うまい
うなぎ屋があると聞き、同伴して付いていくことにさせてもらったのである。
病棟の朝の申し送りと回診を済ませ、9時過ぎに出発である。
35度を超える猛暑の中、病院車で片道30キロのドライブは楽ではない。
先の市町村の統合合併で桐生市に合併された旧新里町の町役場は
場違いにモダンな建物に新築されていた。
必要な手続きは簡単に済み、いよいよY氏の生家を訪ねることになった、というか探すことになった。
何しろ、本人は40年も前から統合失調症で入院しており、
最後に墓参りに帰ってからも、既に20年以上経っており、
生家はもう壊され残っていないとの情報もあったのである。
記録に残っている登録住所を頼りに地図で探すのだが、
今一つはっきりしない。
本人の記憶も怪しいし、開発され周りには新しい分譲住宅地も
出来ていたりして風景も変わっているのである。
運よく郵便配達員に遭遇し番地を教えてもらったのだが、
上手くたどりつけないでいると、青雲寺という古い禅寺に行きついた。
すると、ここは覚えがあるとY氏が言う。
そこで歩いてみれば思い出すのではないかと、お寺に車を置いて、
3人でお寺の門から歩き出す。
間もなく『ここが俺っちだ。』と、Y氏が興奮して指差す。
半信半疑で玄関に回ってみると、朽ち果てた家の玄関の表札に
Y氏の父親、母親、本人の名前があるではないか。
一同いたく感激し、本人は写真に納まり、満足したのである。
さて次は私の満足の番である。
天保元年創業という老舗のうなぎ屋、『泉新』には予約時間ピッタリに
到着した。
3人でうな重を食べた。
味は特段これというほどではなかったが、期待外れという思いもなかった。
特徴は、養殖物ではないような少し泥臭さが残る味であったが、
まさか近くの渡良瀬川の天然ものでもなかろうとも思った。
なぜなら昨今のうなぎ稚魚不漁のための値段高騰は
ここでも十分に反映していたから。
もっとも天然ものだから安いという理由もどこにも無いのではあるが。
Y氏は、おそらく、うなぎは随分久しぶりであったのだろう、
本当に美味そうに食べ、心から満足げであり、それを見て、
私達も幸せな気分になった。
今日はいい日になったな、と思えた。
I氏も同じことを言った。
帰りに桐生絹織物の物産館に寄り、
家人に手提げバッグを土産に買った。
病院に帰り、しばらくして病棟に顔を出すと、“うなぎは旨かったか?”とか、“土産は何を買ったのか?”とか、スタッフから質問攻めにあった。
Y氏は、普段と違い、こういう時は変に意思疎通能力が高くなり、
事細かく報告したようである。
やはり、余程か嬉しかったに違いあるまい。