自律機能と気分変調
先に述べたように、ハルトマンによれば、自我には、自我の調整役、葛藤による人格の統合機能としてではない、葛藤から自由な自律的な機能があるとされ、自分の成長、発達に関わる精神運動を指揮するものとして自律機能を上げている。
自律機能が障害されると、生、存在の根源的意義が喪失し、将来の理想が描けず、人生の目的、生きる価値を見出せなくなる。
肯定的な自己像が描けず、低い自己評価に陥り自責的になるものと私は考える。
それらは、臨床的には境界性パーソナリティ障害、摂食障害、無力妄想として現れるが、気分変動が前景に現れると非定型精神病、気分変調症の病態を示す。
中でも気分変調症が自律機能障害を最も分かりやすく示していると考える。
気分変調症は、慢性的な小うつ状態で、些細なことで急激に落ち込む気分障害の一つである。
気分変調症はdysthymiaといい、dysは変質、異常、不全を意味する接頭語、thymiaとは精神状態の意を表す接尾語で、ギリシャ語の気息(ティモス)に由来する。
ギリシャの詩人ホメロスによると、気息は世界中に広がっている希薄な蒸気状の実体を言い、それが生命の根源であり、人間の身体に入り込んで感情や思考力を生み、完全に意識のある状態、すなわち自我になると考えられていたようである。
気息と身体を分ける心身二元論は17世紀まで続き、デカルトによる機械的宇宙論に凝集する。
デカルトの物理的因果関係による機械論的自然観とは、生命体を含めてあらゆる物体は宇宙の巨大な機械仕掛けの一部となり因果作用により支配されているという考えで、気息も機械仕掛けの一部であり、大脳の中を流れて機械的な動きを生み、神経内を伝わって大脳を感覚器官や身体組織と結びつける働きをするとされ、また気息はそれ自体で感情を持ち思考する生命素材であるとされている。
これはニュートン古典物理学が示した因果律、ラプラスの悪魔の先取り的考えでもある。
気分変調症(dysthimia)は、気息(thymia)がうまく働かない事(dys)、つまり自我障害を意味し、統合失調症の自我障害を除いた自律機能障害を意味する病名としてもよく符合するのである。