老年期とは
老年期とは、精神科医エリクソンの8段階ライフサイクル斬成論によれば55歳以上とある。しかし、壮年期と老年期の間には過渡的な期間を設けるべきいう考えから、55歳~65歳を向老期とする説があり、呼び方も「初老期」「中老期」など様々である。
最近、日本老年学会は従来の65歳以上を高齢期とするのを改め、65~74歳を准高齢期、75~89歳を高齢期、90歳以上を超高齢期とする提言をした。
エリクソンも晩年には80代後半以降は老年期から外して9番目の段階にすべきであると述べている。
それらを勘案すると、老年期を55歳~64歳を思秋期、65歳~74歳を前老年期、75歳~89歳を老年期、90歳以上を晩年期(晩期老年期)とするのが妥当ではないかと考えている。55歳~64歳を思秋期とした理由は「思秋期症候群」に記載しているのでご参照いただきたい。
老年期の体とこころの特徴
老年期は心身共にその状態は個人差が著しく大きいと言える。それは生物学的な要因はもちろんだが、生きてきた社会的要因が大きいためである。さらに、人間には精神を支えるこころがあり、こころの世界を如何にして持つかによって
老年期の生き方が貧しくも豊かにも変わる可能性があるからだ。
生物学的にみる老化について
生物学的に老化をみると、多細胞生物である人間は体細胞の分裂回数も限られ、細胞に寿命があることはすなわち人間の死を必然のものとする。そして、同時にそれは老化を伴うことを意味する。一方細菌などの単細胞生物では2分裂で生命をつないでいくので死というものがない。従って老化も存在しない。
生物学的な見地において生きることの本質は、個体が生きながらえることではなく、生命が継承されていくことであり、生物にとっての生命とは子孫を継続していくことを意味する。その方法として、人間は有性生殖を選んだために老化や死という問題に直面するのである。つまり、人間は元来、有限の時間を生きるという選択をした生物の仲間であるということを前提にして、老化や死の問題に向き合う必要があるのだ。
人間も老化に伴って必然的にエントロピーは増大し、若い時のような復元力は衰えてしまう。生理的老化とは加齢によって生理的機能が減退することであり、加齢に伴いあらゆる臓器は緩やかな機能低下を起こし、生理機能の恒常性を保つホメオスターシスも低下する現象が起きる。しかし、これは誰にでも一律的に起こるのではなく、多様性があり個人差が非常に大きいのが特徴である。生命が誕生する時にはたった一個の受精卵が成長する過程では殆ど個人差がなく、神秘的なまでに正確な遺伝子プログラムを見ることができる。ところが老化の場合は、いつから始まり、どんなことが起きると老化とみられるのかも明確ではない。人間の場合は65歳以上になると老人と呼ばれるのだが、その外観も健康度も人によって非常に異なる。しかし、老化しない人間はいないのだから老化にも何かしらの老化プログラムは存在しているはずだが、いずれにしても老化とは画一的ではなく、著しく個人差があるものだという事は確かである。
精神・こころの老化について
年を重ねると精神(こころ)にも変化は起きる。例えば、今までできていたことができなくなるように、学習能力が低下したり、物忘れが多くなったりするのも事実である。しかし、身体の生理的な老化に比較して精神の老化による変化にくい。得意分野での判断力、理解力などについては磨きがかかり、老練、老熟という域に達することもある。
老年期の精神的な変化とは、ただ加齢によるものだけでなく、それぞれの個人が生きてきた歴史や経験が積み重ねられた背景によって、こころの有様が変わっていくという事である。
老年期の精神(こころ)共通する一般的な要因
- ①身体病・不健康による影響
- ②脳の器質的な変化による影響
- ③老年期の喪失体験による影響、などがある。
知能の老化について
知能は教育水準の高いほど衰退しにくく、身体的な活動性が高く健康度の高い人ほど知的水準も高く保たれるとされている。知能とは、記憶力、理解力、判断力、計算力、推理力、学習能力など多くの能力の集合であり、経験や知識に負うところが大きいので、たとえ能力の一部に劣化があっても総合的にみると、老年期でも知能は容易に衰退するものではないと思われる。従来、知能のピークは20歳であり加齢に伴って急速に低下し始めるとされていたが、最近の調査では中年後期から初老期まではまだ上昇する傾向にあり、60歳を過ぎてようやく衰退し始めると言われている。
「知識は精神を若返らせる(レオナルド・ダ・ビンチ)」という言葉があるが、知識を増やして知識性知能の賦活をはかることで知能全体の衰退を防ぐことは精神を若返えらせる論理的な方法と考えられている。
老年期の感情
感情は知能とは異なり、非合理的で主観的なものである。そのため、科学的な研究は多くないが、それでも感情も老年になると変化が起きるのは確かである。運動や性行為による快感は弱くなるものの、食べることの快感は余り減少することはない。恋愛や新しいものに対する情熱は減弱し、喜び、悲しみ、怒りという情動も激しさは弱まって、心の動揺は少なくなる。しかしながら、情動のアンバランスが起きると、その感情は治まりにくくなり「うつ」や身心症になりやすい傾向がある。
老年期の意欲
意欲が人間を行動に駆り立てる原動力であるが、年を取ると若い時ほど意欲はなくなり、形を変えていく。食欲については、量は減るが食べたい欲は衰えない。性欲は老年期にあっても精神生活の重要な源泉になりうるものだが、個人差がより大きくなる。一般に若い時に精力的であった人ほど老年期も活発な性生活を送る傾向があり、また老年になっても性意識を持ち続ける人は性生活に限らず様々な人間関係でも活気に満ちた豊かな精神生活を送る傾向があるとされている。
老年期の性格変化
年を取ったからといって人柄がすっかり変わってしまうことは少なく、青年期までに作られた性格は次第に固められ成熟していき、老化によって若干の微妙な変化が付加されていくのが普通である。
老年期になって起こりうる性格変化には、円熟化、先鋭化、反転・反動化などがあげられる。性格は人間が生きて行く上で、一つの防衛戦略でもあり、老年期になると本来の性格の基本的なところ変わらずとも、その内容に変化が起きるのは自然なことである。人間は四十を過ぎたら自分の顔に責任を持てと言われるが、性格にも同じようなことが言える。人は成り行き任せに生きていたのでは、老醜に陥ってしまう可能性があるということかもしれない。
老年期の適応について
老人の生活適応で障害になるのは自己中心的になることと硬直化することが挙げられる。自分本位になり他人の指示に承服できず、柔軟に対応できなくなるのである。老年期に入ったらなるべく関心を広く持ち、縄張り行動を回避して、努めて広い世界を見るようにすることが大切になる。
また人間の心理体験には何かに集中して得る「没頭体験」と過去の経験値で予測する「見通し体験」の二つがあるが、老年期では次第に没頭体験が減り見通し体験が多くなる。仕事でも趣味でも没頭体験を努めて増やすことが老年期の精神生活を豊かにする。
老年期の生きがい
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生きがいとは何か
生きがいとは、生きる喜びの対象になっているもの、或いは、生きがいを感じる精神の状態のことをいう。立派な社会的地位と不自由のない豊かな家庭生活を維持していてもこころの底では虚しさが募って生きがいを感じられない人がいる。反対に、地位もなく貧しい労働生活に追われていても自分の生活に意義を持ち、些細なことにさえ愛情を抱き、しみじみと生きがいを感じる人もいる。つまり、生きがいの対象が生きがい感を作ると言うよりは、私たちのこころがその対象と何らかの喜びという関りを持った時に、それが生きがいになるのであろうと考える。 -
生きがいを妨げるもの
- ①老年期の生きがいの問題は、生きがいの対象になるものが次々喪失して行くことである。
- ②生活様式の中で生きがいが見つけにくくなっていること。青年期の生きがいは目標に向かって進んで行くgoing(進行形)の形にあるが、高齢期の生きがいは他者と一緒にいる、又は、共に生存するbeing(現在の状態)の形にある。適応能力が減退していく老人にとっては環境が精神面に与える影響は大きく、老年期の生活様式は生きがいに直結する問題となる。今日の核家族化によって、老年期になると施設に入居させるという風潮は老人の生きがいに大きな影を落としている。
- ③老人は死を身近に感じつつ、今まで生きてきたことを振り返るものである。「自分の一生は果たして生きがいのあるものであっただろうか」「自分の人生はこれで良かったのか」と。自分が未だやりたかったことや生きたい思いが死によって遮られるのだから、人によっては「死の意識」によって、生きがいが奪われてしまうと感じられるだろう。
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生きがいの追求
人の一生とは、生きがいの追求にあると言っても過言ではないだろう。特に老年期では、自分の人生をもはややり直しのきかないものとして振り返り、死に向かって自分なりの人生の辻褄を合わせて行かなければならない。自分の人生に納得して満足出来ればよいが、何処かで折り合いをつけねばならない人もいるだろう。そこには、むろん一つの答えがあるはずもなく、また多くの哲学的、文学的思想・考察に触れながら見出していこうとする人もいると思う。 ただ、人が精神的にも肉体的にも極限状態を生き抜く時には様々な環境要因を超えて、多くの人に共通する「生きる目標・生きがい」がある。それは「人生は一回きりの、まぎれもなく自分自身のものであるという自覚」と「生きていること自体に生きがいを持つ」ことなのである。
どう向き合うか – 豊かに老いる対処法
老化は生理的にも精神的にも多様性に富み、個人差が非常に大きいことは先に述べた。身体的老化も精神的老化も確かなものは何もなく、老化とは「なってみないと何も決まらない」という、まるで量子論を思わせる現象なのである。 しかし、老化とは基本的にはエントロピーの増大であり、対策としては2つの方法が考えられる。一つは質の良いエネルギー(冷たいものより暖かい、化学エネルギーより自然エネルギー)を取り込み、エントロピーを減らすこと。もう一つはエントロピーの増加を極力抑えること。それは変化を極小化することであり、恒常性を高めることである。つまり、自律統合性機能を高めるように心身を鍛えるのが論理的な対処法になる。マインドフルネス(呼吸法・瞑想)で、レジリエンス(逆境力)を高め、レジリエント生活・食事療法で恒常性の強い身体的な健康を図ることが有効だと考えている。
こころの老化を知識として学ぶことはできる。文学や哲学から今日的マスメディアまで老化の情報は溢れている。しかし、受動的にそれを読み聞きするだけで老化を理解し、老年期の悩みや危機は回避できるだろうか。徒に言葉を蓄積してみるだけでなく、それを身に返して老化の本質を知ることが「良く老いる」ということではないかと考える。
自らを語りて自らの老いを知り、人生の統合性をはかることが老いの苦しみや悩みの解決につながるはずである。
自らの人生の真実を振り返り語ることで、今ある自分の現実の真実を直視することが出来るようになる。それは老年期の悩みを軽くしてくれるはずである。
当クリニックでは、どんな些細な悩みでも、人生観、自然観につながる深い悩みでも院長自身が傾聴し、共に「生きることについて」語り合います。
「老いの心理」を考察する①
「老いの心理」を考察する②