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_美容整心メンタル研究室

精神波―心は波動である(その2)revised

2017年04月18日

4.単細胞の振動の意味すること

粘菌はアメーバ様運動をする巨大な単細胞であるが、高等動物の脳の働きに類似する高度な情報活動を行っている。この秘密は、リズム性と形状変化にある。原形質は振動する代謝反応に起因するリズムを示し、したがって細胞は多数の振動子が結合したネットワークを形成する。形状変化は振動子間の結合状態を変える。このように粘菌は、脳でのシナプス結合の変化に相当することを時々刻々都行い、細胞全体にわたる動的パターン形成をもとにして情報判断や行動制御を行っている。(上田哲男、中垣俊之:細胞に心はあるか。脳と心のバイオフィジックス、共立出版社、1997年)

⇒これは細胞心理学の可能性を展望する論文の要約であるが、原生生物においても、意識が振動に関連する可能性を示し、また、細胞の振動子が結合し全体系の集団ダイナミクスが情報処理や計算の基礎になっていることの示唆は、現在、脳の活動が神経回路網のダイナミクス(ニューロンシナプスの可塑性の問題)として理解されつつあることと関連していて興味深い。

4)身体における同期現象に心が影響する

心拍の力強い、超多数回の運動は、心筋細胞一つのリズムが同期して細胞塊の集団リズムに変わり大きな心拍動になることで実現している。

こっれhあ自然界に見られるミクロリズムを集めマクロリズムにまとめあげようとする自然界の力である。

リズム振動は波動である。心拍のリズム振動は神経系、内分泌系、免疫系の伝達物質の影響を受けるが、心の影響も受ける。心が波動で同期するからではないか。

 

5.中村雄二郎の汎リズム論

哲学者中村雄二郎は、自然、宇宙のあらゆる物理現象から生命現象はリズム振動が基礎であり、音楽の感動も、リズム体である音楽が、同じくリズム体である生命体に共振作用によって身体に働きかけるためであり、単に知的、精神的なものではないとし、広く絵画などの芸術も根源はリズム振動の共振であるという「汎リズム論」を言っている。[中村雄二郎:表現する生命、青土社、1993、中村雄二郎:共振する世界、青土社、1993)

⇒ここでは、身体、精神が振動体であることを前提においている。

 

6. 精神症状と量子論の親和性

幾つかの精神症状は量子論の現象に類似性がある。意識を量子論と結びつける発想を支えるかもしれない。

  • ① 自我漏洩とトンネル効果

電磁波は障害物を透過する性質がある。可視光はガラスを透過するし、携帯の電波も壁を透過する。電子も波の性質があるため壁をすり抜けることがある。原子核は通常、「強い核力」により陽子、中性子が強固に繋がり、また周辺をエネルギーの障壁で守られているので崩壊することはないが、原子核のアルファ崩壊はアルファ粒子がトンネル効果でエネルギーの壁をすり抜けることで起きるとされる。

エネルギーと時間の不確定性関係では、ごく短時間であれば、障壁を越えるだけの大きなエネルギーを得ることが出来るため、障壁をすり抜けたように見えるわけです。

自我は原子核に例えることが出来る。自我は自我境界で守られ統一性が保たれている。しかし、自我も境界が脆弱化すると、自我が漏洩し、作為体験、構想吹入、考想奪取などの症状を呈する。(幻覚、妄想も関係する?)

電磁波、量子の波動性がトンネル効果をもたらすように、自我漏洩もトンネル効果の一種と見れば、心に波動的な性質があると捉えることは出来るのではないか。

  • ① 多重人格と多重世界解釈

ICD-10では多重人格障害、DSMⅣでは解離性同一性障害と呼ばれる、「2つ以上の別個の人格が同一個体に存在し、ある時点ではその一つだけが明らかになる病態」がありますが、これは量子論の、コペンハーゲン解釈の「多様性が一つに収縮し、他は瞬時に消滅する」という矛盾を、「多様性の数だけ多世界が存在するが、そのうちの一つだけを認識する」と解釈することで、矛盾を解消する多世界解釈に通じるものである。多世界各々に自我は存在し得るが、複数の世界に行くことは出来ず、一つの世界を認識すれば他の世界を認識することは出来ないとされ、多重人格は、例外的に複数の世界を行き来する状態といえる。

  • ② 「力動」、「相補性」と「量子的なからみあい」

フロイトは無意識と言う概念を作り、それは常に意識と相互に密接に関係性を持っているとし、ユングも内向、外交的態度や主機能、劣等機能の関係において、意識の態度が一面的になると、それを相補う働きが無意識内に存在することを強調している。

量子論においては、量子はある関係性においてはペアになることがあるとされ、その関係は空間的に距離が離れても無関係にはなれないとされる。例えば「シングレット」という特殊なペアの場合、量子1と量子2のどちらかが「上向き」の回転軸を持っていると、もう片方が「下向き」の回転軸を持っているが、観測以前は、量子1も量子2も具体的な回転軸の状態は決まっているのではなく、決まっているのは「互いの回転軸の方向が反対だ」ということだけである、というような関係を、量子1と2は「量子的なからみあい」の状態にあるという。

このからみあいの関係は、意識無意識の力動関係、相補性に通じるところがある。

 

7.DSM5の見解から

DSM5では、DSMⅢ,Ⅳの診断可能な症状の項目を集めたカテゴリ―診断学的な考えを改め、統合失調症、気分障害、広汎性発達障害カテゴリーにおいて、類似周辺疾患とされた独立した障害名が外され、一つのスぺクトラム(連続体)として扱うようになった。スぺクトラムとはいくつかの波長の電磁波が集合(干渉)していた光ををプリズムで屈折させ分散させると、明確な境界が無い連続性のある波長帯を描くという光が波動であることを示す現象をいうことから、スぺクトラムと解釈できる精神症状も波動的性質を持つとの意味合いを含んでいることになる。

これは心が波動であるという主張の傍証になるものと考える。

*精神障害をスぺクトラムで捉える考えは、私が精神医学を学び始めた当初より考えていたものであるが、勤務先病院のカンファレンスでは新参者のたわごととして無視、あるいは蔭で罵倒されたものであるが、日本の精神医学はこのDSMの変更をどのように受け入れ修正していくのであろうか?無批判的に、文字通り米国精神医学会に盲従するとしたら、日本の精神医学の独立性(科学性)はどこにあるのかという問題にならないのであろうか。(しかし、多分問題としないところに、杞憂ながら問題の深刻さがあるように周辺新参者には思えるのであります。)

 

以上羅列した各事項は、各々が、心、意識、精神に波動的な性質があることを含んでいたり、示唆するものであり、それらが集まって全体性として全く別の新しい意味あいとしての波動性を生じた、ものとは言い難い面がある。従って、「心が波動である」という考えは創発には当たらず、自然な帰結といえるのかもしれないが、「精神波」というような包括的な言葉が無かったことから、そのような表現にしたものである。